2008年3月19日水曜日

Nostalgia Travel and Great Mother 1

Nostalgia Travel
弟は1955年生まれで父44才、母36才の子供だった。今で言う高齢出産であったが、当時としては珍しいことではなかった。

Great Mother
この地域の人々の間では、よく「40才過ぎての子供は可愛い」と言われていた。それは20才前後の大人に成り切れない時の子供より、大人として成熟してからの子供では精神的な余裕がそうさせるのだろうと思う。
そんなこともあってか、父は弟がひとしお可愛いようだった。

Nostalgia Travel父母の世代の農村地域では、嫁もその子供も農作業の働き手として重要であった。まだ、機械化されていなかった、当時の農作業は多くの人手を要していたからだ。

Great Mother
農村の娘は、初潮が有れば嫁にゆき多くの子供を産んだ。事実母の兄弟は10人ほどいて、母の一番上の姉と母は20才ぐらいの年の差があった。

Nostalgia Travel
避妊具があまり普及していなく、避妊意識も散漫な時代でもあった。この時代「嫁の子供より、姑の子供の方が年下」と言う現象も普通にあった。だから「高齢出産」と言う意識も言葉もなかった。

Great Motherしかし、農業規模が小さく子供が多すぎると、生活が立ちゆかなくなり、余裕のある親戚に養子、養女に出されることも珍しいことではなかった。いわゆる口減らしだ。

父母の時代に、さらに貧しい家庭の子供は、金銭の売買対象であった。男の子は都会の大きな商家に下働きの小僧として、女の子は遊郭に売られていった。

Nostalgia Travel
当時、我が家の生計を支えていた母の「かつぎ屋さん」ビジネスが、弟の出産でしばらく出来ない状態が続ていた。その結果、我が家の家計はかなりひっ迫していたようだ。
病から癒えた父だが、再就職するにも、44才という高齢者の働き口はそう簡単に見つかる時代ではなかった。

Great Motherそんな日々の中で横浜の叔父(父の弟)から「妹を養女にくれないか」との話があった。叔父の家には私より8才年上の男の子が、もう一人子供が欲しいと思っていた。しかし、叔母が病弱で今後子供が望めない事から、妹なら養女に欲しいとの話が有ったようだ。

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