2008年3月22日土曜日

小雨のヌカルミで米を積んだ荷車がミゾにハマッタッて動かない。

Nostalgia Travel
「かつぎ屋さん」の母の朝は早い、多分4~4時30分には起きて朝食の準備を始める。
ガスレンジも電気釜もない時代の炊事は、山や林から集めて置いた、タキギに火を付ける事からはじめる。
その間、炊事場から離れることはできない。我が家の台所はヒサシだが屋根と壁はワラで出来ていた。それに続く家もカヤと障子紙と木で出来たていたから、火もと管理を誤れば簡単に火事になるからだ。

Great Mother
炊事が終わったら、近くの農家を2~3軒回って数種類の野菜、米、モチ、タマゴなどを仕入れに行くが、6時頃出発のバスに乗らなければならない。

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母は自転車に乗れなかったから、一軒一軒歩いて集荷した。荷物の多いときは、大家から木製の荷車を借りて仕入れに行った。
この荷車は、タイヤも荷台も木製だ。牛や馬に引かせるように設計されているから、長くて大きく扱いニックイ代物だった。

Great Mother
物資のない時代だから、ゴム製のタイヤで鉄パイプで軽く扱いやすい、リヤカーが出てきたのは、多分弟が生まれた昭和30年(B.C1955年)頃からだと思う。更に、リヤカーが装着できる自転車が普及するのはその2~3年あとだと思う。

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その上、当時の道路事情は国道でさえ舗装されていない状態だから、我が家が済んでいた地域の道路は、あちこちに陥没のある砂利石を敷いた道路だが、あぜ道に近い。
いや、砂利石が引いてあれば良い方で、チョット脇道に入ると雨の翌日などは、ヌカルミになってしまう。そこに素足で脚を踏み入れれば、くるぶしの上まで埋もれてしまうような、土を踏み固めただけの完全なあぜ道だ。

Great Motherある日、少し早く起こされて、母の「仕入れの手伝い」をしたことがあるが、その日は前日の雨で仕入れの道すがらには、アチコチに水たまりのミゾがあった。

Nostalgia Mother当然、そのミゾは荷車が何度もはまった後で、ミゾからは砂利石がはじき飛ばされた大きなワダチだから、一端はまったら簡単には出らない。

米を積んでだ帰りそれを避けながら来たのだが、運悪く一番大きなミゾにはまってしまった。当時、弟が生まれて1年位足っていて私は小学校4年生だった。

Great Mother
相撲を取ると近所の同級生ではナンバーワンの私だったから、少しは助けになると思い荷台の後ろから押すの
だが、どうにも動かない。その内小雨が降り始めた。

Great Mother
母の顔を見ると鬼のように真っ赤な顔をして荷車を押したり、引いたりしていた。雨にぬらすと米が売り物のにならないからだろう。もちろんシートはかぶせてあるが、当時シートは防水性が乏しいものだった。

Great Mother
その頃父は、また住み込みで働きに出ていて不在だった。タカシ「山田のジー呼んでこい」と母は叫んだ。私はこの近在で一番の力持ち(少し酒癖が悪いけど普段は優しい)の「山田のジー」を呼びに走った。
「山田のジー」は弟が「ジー」と呼んで可愛がられていた以前話した「貧乏連合!」のお隣さんだ。

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