2008年3月20日木曜日

Nostalgia Travel and Great Mother 2

Nostalgia Travel
母の出産で「かつぎ屋さん」ビジネスが滞っているところに脳性麻痺の姉11才、私8才(小学校3年)、妹5才、弟0才に父母と6人の家族構成で、収入源がない状態が一年位続いたら、家計がひっ迫するのは当然のことだった。

Great Mother
これは想像ですが多分、父は妹を叔父(自分の弟)に養女に出すことに、気持ちがかなり揺れたと思う。ある日私が学校から帰ると家の中から母の大声がした。「どんなに苦しくたって家族で暮らすのが一番、ミエ子はやらない」。 父「・・・・・・」。

Great Mother
結局、父は母の強い意見に従った。その後母は、楽しいときも、辛いときも「家族みんなで暮らすのが一番!」をまるで自分に言い聞かせるように、ツブヤクのを、私達兄弟は聞かされた。私はその言葉を言うときの母を愛した。そして、今でも誇りに思う。

Great Mother
当時、赤ん坊は母乳で育てるのが普通だった。赤ん坊が大きくなって母乳が足りなくなると、足りない分を人口ミルクで補うのが普通だったようだ。幸い母は母乳が豊富にでた。それだけ家計が助かる訳だ。

Nostalgia Travel
母は元来あまり健康ではなかったようだ。第一子の姉と、その年子の姉は生まれて間もなく死んでいるが、その原因は母の健康状態の影響のように私は聞いている。

Great Mother
しかし、弟の出産前後は過去にないほど、母は健康だった。従って弟は兄弟で一番の元気者だ。今、思うと過酷な「かつぎ屋さん」ビジネスで、母の身体が鍛えられたのではないかと思う。

Nostalgia Travel
自分の体重の2倍ほどの荷物(食品)を背負って「駅の階段(当時はエスカレーターも、エレベーターもない)を上り下りする事は、男でも出来ない」と当時の男どもがいっているのを聞いたことがある。
その理由を男どもは「女性特有のおしりの体型がカゴを安定させて、あの大荷物を担いで階段を登れる」と言い訳していた。

Great Mother
私は、身体が小さい割に力が有ったので、小学校2年生位まで夏休みなど、休みになると母のかつぎ屋さんを手伝った。駅の改札で駅員に「坊や幾つと聞かれると」。私は「5才」と母に言い聞かされた通り答えた(小学校前は無賃乗車できる)

Great Motherそんなことから母が自分の体重の2倍ぐらい有るのではないかと思える、頭上高く積み上げられたカゴを背負って階段を上り下りする姿を何度も見ていた。私は、いつも母がコケないかと心配して見ていた。

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