2008年3月25日火曜日

かつぎ屋さんの母は四人の子持ち。

Nostalgia Travelその日、母は一時間遅れのバスで「かつぎ屋さん」の仕事に出かけた。
弟は、母が仕事から帰るまでの間、山田のジー宅に預けられていた。私は妹(小学校一年)と障害者の姉に食事を与えて、学校へ急ぐ。

Great Mother
母の帰宅は、早いときで午後7時、遅いと8時頃になる。母の帰宅が8時の時は私達子供だけで食事を済ませる。

Nostalgia Travel
母は帰宅して、一人で食事をする。弟は、母のヒザの上でお乳をまさぐっている。妹より5才年下の弟は、母が帰るといつも、母のヒザとお乳を独占して一日の寂しさを紛らわしている。

Great Mother
私と妹は母のカゴの中に売れ残りの、お土産がないか、探すのが日課になっている。母は当時、あまり手に入らない大福を時折、私達のお土産に持ち帰って来ることがあった。

Nostalgia Travel
大福は「白モチ」に「粒あん」か「こしあん」の大福で、その時によって「草餅の大福」の二種類の時もあった。兄弟全員が草餅大福が大好きだった。白か草餅かの争奪戦は当然、早いもの勝ちだった。

Great Mother
私は、長男の特権で草餅をよくゲットした。弟は泣けばいつでも、何でも好きな物をゲットしていた。私も弟とは8才も違う弟は可愛いくて、抵抗なく譲っていた。

Nostalgia Travel
従って、大抵は私と妹の争奪戦になる。可愛そうなのは障害者の姉だった。いつでも、何でも一番最後の残り物だった。

Great Mother
大人になってから、母が教えてくれたが姉の分は、別に隠して置いて私達に見つからないように、与えていたそうだ。それを聞いて私は幾分「罪の意識が癒された」

Nostalgia Travel
子供の成長期は本能的に、食べ物に執着するようだ。もののない時代たった当時は、子供も大人でさえそうだった。

Great Mother
弟が生まれた昭和30年(B/C1955年)を境にして、日本の国情が少し明るさが見えてきた。そして、我が家でも父が職につき、母「かつぎ屋さん」との共稼ぎになって、我が家の家計に余裕を子供心にも感じられるようになった。

Nostalgia Travel
時代は緩やかに戦後社会から、脱却しようとしていた。その頃から母の「かつぎ屋さん」ビジネスも社会のニーズが少しずつ変わってきていた。

Great Mother
物さえ有れば何でも売れた時代から、産地直送の新鮮で美味しい食品を提供する、営業部隊に変貌しつつあった。

0 件のコメント: