2008年3月21日金曜日

大荷物を背負う母と、赤ん坊の弟をオンブして並んで歩く。

Nostalgia Travel母は弟を出産して、半年もしない内から「かつぎ屋さん」ビジネスに出かけた。「かつぎ屋さん」は12月の年の暮れは特に忙しい。弟が生まれた月が8月でその年の12月は、母が出産して4ヶ月程度だが、東京のお客さんから注文がかなり有ったようだ。

Great Mother
それは、我が家に取ってありがたい事だった。父も母のビジネスを手伝ったが、ほんのタマニだった。理由は良くは分からないが、母のお客さんが東京の親戚やその縁者だったり、父の軍隊時代の部下だったりのためのようだった。

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いずれにしても、母はまだ盛んに母乳を欲しがる、弟を抱きかかえながら「かつぎ屋さん」に出かけた。私も12月になると、日曜日や冬休みになるといつものように母の仕事を手伝った。

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しかし、今回は手伝う内容が今までとかなり違っていた。私の役割は荷物を運ぶことではなくて、弟をオンブする役割だった。そして、母は仕事の合間を見て、私の背中から弟をほどき、抱きかかえて母乳を与えた。

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当時はみんなが、必死で生きた時代で有ったが、それでも「かつぎ屋」のオバサンが「子供に赤ん坊をオンブさせ」大きな荷物を背負って、親子で並んで歩いていると、かなり奇異に見えたようだ。

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12月はオモチや、餅米の注文が多くかなり、カゴの荷物はいつもの月よりかなり重い。母が一番大変なのは駅のホームから、ホームに移る階段の上り下り。そして、最寄りの駅から第一軒目のお客さんの家にたどり着くまでの道のりだ。

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母は、頭上高く積み上げられた荷物を背負い、卵などが入った手さげカゴを両手にもって、前屈みになって息を切らして、足下を確かめるように歩く。転んだら最後、大ケガをする事は必死だ。「人生は重い荷物を背負って坂道を行くがごとし」徳川家康の格言、そのものの姿だった。

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弟は、健康優良児でかなり大きな赤ん坊たった。弟の体重は、当時6~7キログラムぐらいあったと思う。比較的に力が有った私だが、まだ小学校三年生の子供の力は知れている。ただ、弟の重さに耐えることしか、母の力にはなれなった。

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