2008年3月26日水曜日

かつぎ屋さんはヤミ商人?

Nostalgia Travel
弟が生まれる前(BC1955年)は、終戦後のサバイバル時代だが、この当時は「かつぎ屋さん」ビジネスで最も、需要が有ったのは主食の米だった。しかし、米の販売は厳しい統制下にあった。

Great Mother母達「かつぎ屋さん」は、警察官や鉄道公安官の査察で米を運んでいることが分かれば、米以外の全商品も没収された。母達が米の販売をすると事は「ヤミ米」をあつう事になる。


Great Motherかつぎ屋さんは、統制商品以外の生鮮食品などを販売できる登録証があった。しかし、米を運んでいる事が分かれば、その登録証さえ没収さっれる事もあった。それは、死活問題たった。

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母は、かつぎ屋さんを初めて間のなく私を連れて、行くようになった。
私が身体が小さい割に力があり、乗車券なしで、荷物運びの手伝いをさせられる事だけがその理由ではなかった。

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「かつぎ屋さん」は電車、バス料金は二人分払うようだった。荷物が一人分の場所と重量があったからなのだろう。

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母と私がバスに乗ると、6~7名の「かつぎ屋さん」達は後部座席に陣取っていた。「かつぎ屋さん」は終点の当時の国鉄取手駅で降りるから、他の乗客の邪魔にならないようにの配慮でもあるが、そこは情報の交換場所でもある。

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大柄の「かつぎ屋さん」が(ボスらしい)が母に昨日、どこの駅のどのホームで査察があったか、査察官が何人いたかなどの情報を大声で教える。
母も大声でなにやら聞き返す。バスが停留場で別の「かつぎ屋さん」を乗せる度に、その話が繰り返される。

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バスは舗装されていない砂利道を前後左右に激しく揺れながら走る。途中窓から野菜、タマゴなどが積み込まれたりする。

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駅に着くまで、バスの中はとにかく賑やかだ。昨日の客とのヤリトリを話すもの、商品のブツブツ交換をするもの、冗談をいって笑うもの。
そして、駅に着く頃には7~8割は「かつぎ屋さん」の乗客でしめられている。

Great Motherバスは約15キロの道のりを、人家の軒先をカスメながら、狭い道を一時間くらい掛けて走る。

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