2008年3月10日月曜日

Nostalgia Travel and Impressible Generation4

Nostalgia Homeマデヤの語源は、「物をかたづけること」をこの地方ではマデルという。従って「かたづける」てしまっておく物置小屋は、この地方では「マデ屋」と言った。

この地方に移り住んだのは、私が3才の時だった。生まれて一歳にもならない妹と2才年上の小児麻痺の姉と5人家族で暮らしていたが、私達家族はこの地方では浮いた存在だった。Nostalgia Travel

3才までは母親の生家がある、富山県の伏木町という港町に住んでいた。家族5人のうちで茨城生まれは姉だけだった。Nostalgia Generation

ガダルカナル島沖で父が乗船していた戦艦が沈没させられ、命からがら帰国した、父は霞ヶ浦海軍司令部勤務になった。霞ヶ浦海軍航空隊は軍歌に良く登場するが茨城県にある。戦火激しい終戦の1年前にそこで、姉は生まれた。Wer Generetion

海軍司令部は米軍にとって、日本を本土攻撃にはまず制空権を奪取する必要があった。そのため、霞ヶ浦は米軍の重点爆撃目標であった。
ある日の午後B29が飛来してこの海軍司令部を爆撃した。基地周辺に住む兵士の家族達も防空壕に避難した。しかし、防空壕は前日の雨で腰まで雨水がたまっていた。Nostalgia Travel

母は姉をオンブして一晩中その防空壕に避難していたが、生後6ヶ月の姉は身体が冷え切ってしまった。その後、姉は風邪をこじらせたのが病の始まりで、数週間高熱が続いた。物資のない時代で医者がいても処方する薬がなかった。結局、姉は一命を取り止めたが脳性小児麻痺という障害を背負って生きて行くことになる。

そんな姉を含む普段、男親がいない女所帯で、言葉も違う、極貧の我が家は、この地方では浮いた存在で「マデヤ」の屋号で呼ばれていた。Nostalgia Generation

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