2008年3月14日金曜日

Nostalgia Travel and Impressible Generation 7

Nostalgia Travel母は一度だけ、父が住み込みで働いていた職場に、私達兄弟3人をつれて行った事がある。多分、姉が7才、私が5才、妹は2才位だったと思う。Syouwa Generation year52の頃だ。

私の記憶では、父が案内してくれた場所は、2段ベットが5~6個並んだ薄暗い部屋だった。座る場所もなく、母と父がなにやら話していたが、一度父が中座した。

その間、母は父のベットらしき場所に、女物のベージュに、朱色が鮮やかなジャンパー(母好みではない)を見つけて「こんなものを買ったとは一言も聞いていないけど、一体誰にくれるものだ・・・・」と怒りに満ちた語気を、吐いたのを覚えている。Nostalgia Travel父が戻ると、母は「一体これは誰の?」。父「おまえに買ったんだよ!」。母「こんな派手なの私着ないわよ。」

そんなやいりの後、父の友人らしき男が入ってきて「田口、タバコくれ!」と言い。父は当然のように「お~。」と言ってタバコを差し出す。
「女房だ!」と母をその男に紹介した。母、急に笑顔になって「いつもお世話になります」。男は「あ・・・奥さん。いつもこんな感じでお世話になってるは、私の方です。」と笑いながら言った。

その日は、その近くのNostalgia Trabel and Syowa Generatio Hotelに泊まった。今で言うモーテルのような場所に、宿泊した記憶がある。家族全員で風呂に入って、ハシャイダ自分を覚えている。

しかし、その後の家路に向かう道のりは、過酷だった。Nostalgia Travel Road
当時は、我が家ある地域にはバス路線もなかった。一番近い駅から歩くのだが、最も近い駅でも約5Kmある。
母は姉をオンブして、妹を抱いて、私をなだめすかしながら5Kmの道のりを歩いた。
母が私達を、大家や山田さんに預けずに、家族総出で、父に会いに行くにはただならぬ、決意を持っての行動だったと思う。

この道は、その後何度か歩くことになる。今はアスファルトに覆われているが、この駅からのTravelの道すがらには、「激動のSyouwa Generation」を生き抜いた女の汗が染み込んでいる。Nostalgia Travel

0 件のコメント: