2008年3月29日土曜日

母「かつぎ屋さんの商圏」 10

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母の商圏は西武線の(「高田の馬場」発、「所沢方面」)沿線に有った。当時、父の妹夫婦が沼袋駅周辺に住んでいた関係からと思うが、沼袋、野方、鷺宮駅に集中していた。

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特に上客は野方、鷺宮駅に集中していた。野方駅商店街には、商店街の有職者の奥さんが、母と同じ富山県出身であったことから野方商店街には、良いお得意様が沢山いた。

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両親に先立たれた「我が家」大家」の長男は中学一年から、長女は小学校4年から私達と一緒に、母に育てられた。

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かなり先になるが、その長女「典子(仮名)姉さん」が就職難で困っている時、母のツテにより、この商店街の建築会社の社長宅に、女中に入る事になる。

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鷺宮には、母のお客では最大の上客がいた。母は農家のカミサンの「かつぎ屋さん」とは違っていた。夫はレッキとした江戸っ子で、結婚当初、墨田区に住んでいた事もあり、東京や東京人に物怖じしなかった。加えて比較的、商才が有ったように思う。

Great Motherそんな母は金回りの良さそうな家に、今で言う飛び込み営業を掛けて客層を上げる努力をしていた。それが野方の商店街であり鷺宮の佐藤さん(仮名)だった。

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この佐藤さんのご主人は、戦時中父の部下だった。佐藤さんについて、父はほとんど印象にない部下の一人だったようだ。
軍隊には、特有の「いじめ」が有ったが、父はそれを「いい加減に勘弁してやれ」と止めることが、たびたび有ったそうだ。そんな父に佐藤さんは、何度か救われた事があって、父を良く覚えていた。

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母は佐藤さん宅に飛び込み営業に入った時、終戦直後の事だから当然のようにお互いが、お互いの軍歴を話す。その中で佐藤さんは、偶然母が元上官の女房であることを知る事になるが、以来一族上げて母の最上得意になった。

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佐藤さんは当時、鷺宮の大地主で「住まいの屋敷」だけでも1000坪(3,300へーべ)くらい有り、かなりの資産家でもあり、他のお客とは格段の差があった。
従って、母のお客の中でも最上得意だった。母も父の元部下であったことから、商品を厳選して販売していたようだ。

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私も何度か、母に連れて行かれたが、別荘のように緑豊かな屋敷内に親族の家が3軒ほど建っていた。私が佐藤さん宅に、最後に行ったのは22~23才の時だった。
その頃には、母はヒザを痛め(かつぎ屋さんの大半は若くしてヒザの軟骨がすり減って歩行障害になる)て、既に「かつぎ屋さん」を廃業して、生命保険の外務員をしていた。

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しかしそんな母が、「タカシ、佐藤さんからコシヒカリ2俵(120Kg)注文が来てるけど乗用車で運んでくれんかい」と頼まれたことが2~3度あった。従って佐藤さんは、20年来の母の上得意だった事になる。

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その鷺宮駅に行くには、今なら取手駅から1時間20分だが、当時は接続の悪さも有って2時間以上かかったように思う。

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