2008年3月18日火曜日

Nostalgia Travel and Impressible Generation10

Nostalgia Travel
バス路線がようやく、我が家の近くにもできて、母の「かつぎ屋さん」のビジネスが、少しずつ増加していったのは、妹が3~4才位で、私が6~7才位の時からだった。

Impressible Generation
母は私達を山田さんや大家兄弟に頼んで、商売にでかけた。私は子供心に少しずつかつぎ屋さんのプロとして自信をつけて行く母の表情に気づいた記憶がある。

Nostalgia Travel
そんな私達の生活の中で、ある日母から「父ちゃんが病気になって帰ってくる」と聞かされた。そして帰ってきた父は毎日家にいて、主婦のように炊事、洗濯をして、私達子供の世話をした。そして母が毎日かつぎ屋さんビジネスででかけるようになった。

Impressible Generation
ある日父が、庭に出て私達子供に隠すように薬を飲んでいるのを見てしまった。我が家は6畳一間に、台所の土間だけだから、父はいつも外に出て薬を飲んでいた。それは、私達子供に「なんの薬なの?」と聞かれるのを恐れるようだった。
私は、直感的に私達、子供には言いがたい事情の病気なんだな~と感じた。そして、父の病気が何であったか推測できたのは異性を知ったあとだった。

Nostalgia Travelそんな、家族の生活が一年くらい続いたと思うある夜、夏でもない冬でもない多分初夏の頃、風呂場(その頃には、我が家にも風呂があった)から、父が台所にいる母に大きな声でなにやら話している声が、6畳まで浅い眠りの私の耳に聞こえた。

Impressible Generation父の言っている言葉の意味は、記憶にないが、父の言葉に応えて「いやらしいね!」と言葉とは裏腹に、華やいで答える母の声は、ハッキリと覚えている。

Nostalgia Travel
そんな日から、半年ほどして、母のお腹がふくらんで行き、私達の兄弟が母のお腹にいることを知らされた。
母のお腹は日増しに大きくなった。母は食欲もおおせいで、みんなが元気な子供の誕生を心待ちにした。

Impressible Generation
ある日の朝、産婆さんが来て、6畳間に白いシーツのカーテンが仕切られた。子供は全員、家から出された。庭で出されてその時を待つ私達は、苦しそうな母の声を心配していたが、やがて「オギャー」となく赤ん坊の大きな声が聞こえた。

対面した赤ん坊は、4キログラムもある元気な男の子だった。母はお風呂上がりのようなすがすがしい顔で、嬉しそうに弟を抱いていた。
私は、その時の弟の顔は覚えていないが、その時の母は、優し時の母の顔で、私は何か不思議な出来事のように母の顔をみつめ「母ちゃんきれいだな~」と思った記憶がある。

Nostalgia Travel
弟が生まれたのは、父の誕生月と同じ8月だった。父は8月1日で弟は8月2日だった。その時、私は小学校三年生だった。

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