2008年4月15日火曜日

戦後を生き抜いたかつぎ屋さん。 母、九死に一生

Nosalgia Travel
母はカゴを背負ったままプラットホームから線路に落ちたが、イクツカのラッキーが重なって軽傷ですんだ。

Great Mother
ここからは、この事故の状況を見ていた駅員が母に話したことを、後に母が私達に話してくれた。

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母は軽くなったカゴを背負い、手さげカゴを片手にもう一方の片手に傘を持っていた。足を滑らせた瞬間、走り高跳びの選手のような体勢で両足が宙に跳ね上がったそうです。

Great Mother
そして同時に「手さげカゴ」を持つ手が濡れていたせいか、カゴの重みで手から滑り落ちたそうです。ただ、傘はシッカリ持っていて、背負っていたカゴの程よい重みでカゴを背にして線路に落ちたそうです。

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その落ちたときの体勢は、背面跳びの選手そのものの体勢だったようです。そして背負ったカゴが衝撃を緩衝し、加えて傘がパラシュートの役割をしたようです。

Great Mother
落ち方は派手だったが、その割に母のケガは軽傷ですんだ。母のケガは落下した時の衝撃で右足を線路に強打したが、骨折はなく「打撲でだけですんだのです。

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加えて、前の電車が出たばかりで次の電車がくるまでに、かなりの時間的余裕があったようです。また、駅員が近くにいたラッキーが重なり、すぐに救助されて野方駅の近くの病院に担ぎ込まれたそうです。

Great Mother
父はその日の夕方帰宅した。私「カーちゃんは?」。
父「うん。バーちゃんの風邪が、カーちゃんにウツッタみたいだ。みんなにウツスと困るから一週間ぐらい帰らないよ」。
私「うん。分かった」父の明るい表情に、私は何の疑問も持たなかった。

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母は、この時の話をするタビに、この事故の二年前に死んだ(三回忌の)祖母の話をした。
母は、「富山のバーちゃん(母の生母)に、助けられた」と私達に話した。

Great Mother
そして母は、このケガが切っ掛けで「かつぎ屋さん」ビジネスに疑問をを持ち始めた。その後母は多少の雨の日でも「かつぎ屋さん」ビジネスに出かけていった。

Great Mother
そんな日の母の荷物は、いつもの半分ぐらいにしていた。
そしてお客から得た情報をもとに、上手なマッサージ師を探し出して、足の治療を受けながらそのマッサージ師の治療技能を吟味する日々が続いた。

My site is the original Japanese vanishing landscape and the vich Japanese sentiment can stroll through the site

1 件のコメント:

NBM (No Brain Man) さんのコメント...

戦後の混乱期から復興期の社会で一生懸命に生きたお母さんは正しくGreat Motherですね、続くを楽しみにしています。