2008年4月9日水曜日

かつぎ屋さんの戦場は鉄道だったが・・・・

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これら昭和20年代(B/C1945~1954年)の鉄道事故の中にある下山事件、三鷹事件、松川事件と昭和37年にあった三河島事件は、昭和史を語る場合に欠かせない事件でもあった。

Great Mother下山事件
昭和24年(B/C1949年)7月6日初代国鉄総裁下山定則が常磐線綾瀬駅で轢死体で発見された。同総裁は7月5日三越本店(日本橋)に買い物に行ったまま、行方不明になっていた。

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1949年、GHQ(米国占領軍)と当時の政府(吉田内閣)が、行政機関内に就労する共産党員またはその同調者100万人の首切りを密かに計画していた。こりをGHQはレットパージプランと言っていた。

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国鉄労働組合の中心的存在は共産党員だったが、下山総裁は行方不明になった7月5日に国鉄当局は、組合員95,000人の人員整理案を発表する日だった。

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下山事件は自殺、他殺両面から捜査されたが結局、時効成立そるまで、その首謀者を逮捕することができなかった。

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三鷹事件
昭和49年7月15日国鉄中央線三鷹駅の車庫から無人電車が走り出し、駅改札と階段をぶち抜き、駅前交番を全壊して、さらに民家に突入6人の市民が死亡、重軽傷20余名という事件だった。

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翌16日吉田首相は「下山事件同様に共産主義者の扇動による事件」と声明を発表した。
17日国鉄労働組合の共産党員20名近くが逮捕された。
21日国鉄組合員94,000人が国家再建の為という名の下で解雇された。

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当時の検察は、9名の共産党員と共産党員ではない竹内景助のが事件の首謀者として裁判になった。
GHQは最高裁判所による介入を扇動したが、東京地裁裁判長鈴木忠吾は「司法介入」として拒否した。

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共産党員の9名はアリバイが成立して無罪となった。竹内景助は最後まで無罪を主張していたが獄中死した。

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