2008年4月12日土曜日

戦後を生き抜いたかつぎ屋さん。 母、線路に転落

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昭和25年(B/C1945年)の朝鮮戦争は日本の経済事情に大きく貢献した。いわゆる戦争需要と言う事だが、アメリカ軍の統治下にあった日本は、アメリカ軍の物資の調達により、戦後の疲弊した日本経済が復興の兆しを見せた。

Great Mother日本政府はアメリカ軍の物資の輸送に、旧日本兵を徴兵した。当然のことだがアメリカ軍は、戦略情報漏洩を防ぐためやにも、雇用する旧日本兵にソ連の捕虜経験者を避けた。
ここでもレットパージ(共産党排斥)から、一番無難な南方派遣兵(東南アジア派遣兵)を中心に雇用した。

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南方派遣兵はアメリカ軍と最も激しく交戦した旧日本兵だ。それがアメリカ軍の傘下になるのだから、アメリカ兵と旧日本兵の間で、小競り合いが絶えなかった事を、後に父から聞かされた。

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朝鮮戦争当初にアメリカ本国はマッカーサー元帥に充分な派兵を承認しなかったため、やむなく旧日本兵を雇用するわけだが、戦火の中での荷役作業は戦争経験の旧日本兵を選択する以外なかったようだ。

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父も徴兵にとられたが、母は障害者の姉と3才の私と乳飲み子の妹をかかえ、生家の高岡(富山県)からたった一軒の親戚(叔父の関連)を頼って、茨城に移り住んだばかりだった。

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茨城に来てから母は「かつぎ屋さん」、マッサージ師、生保外務員と三つの仕事に就いた。そして、マッサージ師の仕事と「かつぎ屋さん」は同時並行だったが、有ることが切っ掛けになった。

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その頃我が家では、父が病気で家庭療養中で、母の「かつぎ屋さん」で生計を立てていた。そんなある日の昼下がり一通の電報が父を震撼さた。それは、母が野方駅のホームから転落して入院したと言う電報であった。

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その時私は、小学校二年生ぐらいだった。電報は私が登校中の事だったが、帰宅して父の様子にただならぬ、予感を感じた。

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父は、戦場で死線をさまよっただけに、子供の私から見ても度胸の据わった男だった。当時、我が家の近所には力自慢や乱暴者が沢山いたが、父がヒトニラミすると誰も、父に逆らう者はいなかった。
そんな父がいつもとは違う懸命に平静を装うが「なにか落ち着かない、顔が青ざめている」

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当時は、電話など警察か村役場でもなければない時代だから、通信手段はモッパラ電報だった。電報だけでは母の様子が皆目掴めないから、父は不安だけが募ったのだろう。

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父は夕方になって私達に言った「カーちゃん。今日は叔母さんの家に泊まるから帰らないよ」
私「・・・・・」
父「父ちゃんも明日、東京に行くよ。バーちゃんがグアイ悪いらしいから」。私「うん。分かった」

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翌日、父は朝一番のバスで東京に出かけた。

My site is the original Japanese vanishing landscape and the rich Japanese sentiment can stroll through the site

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