2008年4月8日火曜日

母と二人で鉄道公安官に勝った。私の「泣き」を褒める祖母

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その日、母の「かつぎ屋さん」は何時もより、かなり早く終わった。
祖母が住む、叔母(父の異父兄弟)の家は沼袋だが、沼袋駅と野方駅(高田の馬場始発・・・西武池袋線)のほぼ中間で野方駅から1.5Km~2Kmほど有る。

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叔母は、私より一歳年下の女の子と、年子の男の子がいた、私は叔母の家に行くとこの従兄弟達と会えるのが楽しみだった。

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叔母の家は長屋の一室で、我が家と同じ6畳一間であった。そこに叔父と祖母が加わって5人暮らしだった。
祖母は、小柄で若いときは可愛い女をホウフツさせる人だった。
しかし、その日、祖母は病気ではなかった。

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母は、お土産のタマゴとザッコ(小さな川魚)の佃煮を祖母に渡しながら、今日の公安の一斉監査の話を始めた。

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母「昨日、東京駅で一斉があったと聞いたから、今日はもしかしたら上野か日暮里と思ったら、やはり張り込んでいたの」
祖母「よく、没収されなかったね」

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母「この子が必死で『カーちゃん連れて行かないで!』って泣きつくものだから、公安も根負けしたみたい。
それに、荷物もいつもの半分以下だったし、話の分かる公安でタスカッター」
叔母「へー、タカシ君偉かったネー」

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母「公安に『おい、隠れてもダメダヨ』って言われたときには、商品没収されたら、明日の仕入れはどうしよ・・・・と。目の前が真っ暗になったもの」

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鉄道公安は、現在のJRが国鉄と呼ばれていた時代の独立行政機関だが、1947年に設立され、当時の警察と同格の司法警察権を有していた。

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当時は今のように高速道路網は勿論、国道も未整備だったため、有効な移動手段は鉄道だけだった。ちなみに
現在、常磐線と平行する6号国道はなく、江戸時代からの曲がりくねった水戸街道があっただけだ。当然、道路事情も悪く今の2倍の時間を要したと思う。

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当時の政府は、先ず鉄道を整備を第一優先にした。従って昭和20年(B・C1945~1955年)代は鉄道事故の件数が極めて多い時代でもあった。

Nostalgia Travel昭和元年~19年(B・C1925~1944年)の鉄道事故件数は12件だが、昭和20年代の10年間で13件の鉄道事故が記録されている。

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