2008年4月15日火曜日

戦後を生き抜いたかつぎ屋さん。母、線路に転落

母がケガをしたその日は、午後から小雨が降っていた。母は野方駅商店街で「かつぎ屋さん」ビジネスの大半を終えていた。


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「かつぎ屋さん」は重い商品をなるべく軽くするために、その日の第一件目の「客宅」で商品の大半を販売してしまう。

Great Mother
母が「第一件目で荷下ろしする家」は何件か有ったが、いずれも客と言うよりファミリー的存在だった。そこで荷下ろしすると、「その家」を中心に小分けにした商品を周辺のお客に届けたり、周辺の客に「その家」まで来て貰ったりしていた。

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そこで、商売が終わると母は、少し遅い食事を自分が持ってきた総菜を提供して、「その家人」や商品を買いに来た客などと一緒に昼食を摂っていた。

Great Mother
昼食を摂っているときの母は、もうただの主婦の顔になっていた。話す内容は、子供の学校のこと、商店街の出来事、その家のご主人の仕事のこと、嫁がいないか、女中がいないか、物価が高いの安にのなどだ。

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母は、子供の私にでも「少しお節介ではないか」と思うぐらい、頼まれ事を安受けする単純な女だった。その単純さがお客を引きつけたようにも思う。また、困っているヒトを黙って見過ごしにできない性格だった。

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その日も野方で商売を終えたとき、商品の大半を売り切って「かつぎ屋さんのカゴ」には一斗(15Kg)の米、野菜、総菜、タマゴなどが少し残っていた。

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残りの商品は鷺宮(野方の下り、隣駅)で売って、帰りに叔母の家によるつもりだったようだ。当時、野方駅のプラットホームに屋根はまだなかった。
雨に濡れていたホームを歩いていた母が一瞬脚を滑らせてカゴを背負ったまま線路上に落下した。

My site is the original Japanese vanishing landscap and the rich Japanese sentiment can stroll through the site

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