2008年5月31日土曜日

ワクワクさせる祭りの笛や太鼓の音

我が家がある、この地方には幾くつかの「祭り」があった。秋の収穫後の10月頃には「祗園祭り」がある。

この祭りは3日間つづくが、200所帯程度の三つの隣あった集落に、それぞれ「この祭り」はあった。
集落はお互いの祭りが、かち合わないように4~5日づつ、ずらして行われていたから、ほぼ一ヶ月は笛や太鼓の音が夜半まで聞こえてた。


私は、この時期が好きだった。娯楽らいしいモノは何もない、この地方の日々の生活の中で、祭りは唯一の娯楽だった。


地元の祭りでは、腹に響く太鼓の音、軽やかに舞うように響く笛の音が間近に聞こえる。隣の集落の祭りでは遠くから、時折り風に消されたりして、笛や太鼓の音が響いて来る。



そんな祭りの匂いが、私の子供心をワクワクさせてくれた。そして、祭り気分に浸っている母や大人達も、いつもより、ハルカに笑顔が多く、心が沸き立っていることを感じさせた。


毎年、集落毎に祭りのデキバエをを競い合っていた。
多くのデミセ(出店)もあり、舞台が設置され「奉納の舞い」もあり、「武将に扮した者が、馬上から弓矢でマトを射る競技」もあった。


この弓矢でマトを射る競技を始めて、しかも間近で見た時、その迫力に私は圧倒された。
遠くから砂煙を上げて走り来る「馬上の武将」が、20~30メートル毎に置かれたマトを、次々に射抜く様は子供の私を圧倒した。


目の前を通過する騎馬の足音は、大地をトドロカセて私の足下から全身に鳴り響びいた。「パシッ」と言う音が空を切り裂くと共に、射抜いた矢にマトが割れて飛び散る。


馬の響きが遠ざかる。砂煙に騎馬と武将が遠ざかる。「パシッ」。次のマトが飛び散る。もう砂煙に騎馬がかき消える。さらに遠くで飛び散るマトだけが見える。


この馬駆けは、私の子供心を圧倒した。そして、大地をトドロカセた「全身の響き」が鮮明に残る。その興奮の記憶だけは、今も鮮明に残っている。


それぞれの集落には、それぞれ神社がある。この神社が京都の祗園社と、どのようなツナガリがあるかは知らない。


また、京都の祗園祭りも現実に見知っている訳ではない。しかし、この祭りは規模こそ小さいがテレビで放映される京都の祇園祭り、さながらであった。


そして、「今年は『立木』の祗園が一番だっぺ!」。「ウダ。今年は『立木』に負けたな!」とそれぞれが、思い思いに、それぞれの集落の「祗園祭り」のデキバエを批評する。

0 件のコメント: